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サラリーマンを経て、家業の料亭を継いで奮闘中の毎日です。以前はあまり興味の無かった茶道もいつの間にやらハマってしまって、最近はお茶を点てている時がいちばん落ち着くようになりました。そんな経験を活かし、お茶に興味がある方や全く経験が無い方にも茶道の楽しさを伝えられたらいいなあと思い、その方法を模索中です。

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2009年7月 8日 (水)

美ささ苑のはじまりについて その2

 
~ 前回よりつづいて

ところが復元の依頼をした頃から
本業の織物業の環境が急速に悪化してしまい、
婦人服の洋風化にしたがって着物が売れなくなり、
財力に余裕がなくなってしまったのです。

茶室を復元するどころではなくなり藤井さんはおかんむりでした。
藤井さんが、しばらくして奥さん(先代)に会ってみると

先代:「個人の力ででも復元しようと思うのだけど、
    どのくらいかかるだろうか」
藤井:「それでどこに建てるんですか?」

聞いてびっくり、当初は千坪もある丘の上の景色のいいところに
と聞いていたのが、一変して自宅に隣接する工場の跡にということでした。
そこは周囲を建物に囲まれた二百坪くらいの敷地です。
不昧公の大崎茶苑のイメージがあった藤井さんは

「なんて情けないことになったのか」と落胆したのです。

「私なりに夢をいだいていましたから・・・。
 でも贅沢はいってはいられません。ここに建てなければ獨楽庵は
 このまま永久に消え失せてしまうかもしれない。私も七十歳を
 越えていて、奥さんもこれが最後のチャンスだとおっしゃる。
 予算も限られているけど、何とか復元してほしいとのことでした。
 私はその志に感激して、ソロバン抜きでお引受することにしました」

ここから藤井さんの精魂を傾けた復元作業が始まります。

「この復元作業は同時に作庭と広間や腰掛けの建築も含まれていました。
 石組みをして流れをつくり、中門と枝折り戸をつくり、
 茶室には蹲・灯籠を据えました。フラットな土地に高弟をつけるため
 トラック数十台に及ぶ石と土を運び込みました」

茶室の復元に一年、庭や広間や待合をつくりのに一年かかりました。
その間、あっちに立ち、こっちに立ち、座ったり立ったり、
どの目線でもよいように石の一つ、植栽の一つ一つをチェックしました。
それは大きなキャンバスに精密な絵画を描くような根気のいる
精緻な仕事でした。先代はつきっきりでお茶を入れ食事を用意し、
一休みの時には、夏にはおしほりを、冬にはこたつをと、
いたれりつくせりの世話をやきました。
藤井さんはそれに感動して全身全霊を傾けました。

こうして二人の文字通り懸命の思いがこの獨楽庵を甦らせ、
露地と関連施設を完成させたのです。

藤井さんは後日こう語っています。

「私のような者でも、一生の内には何か後世に残るような仕事をしたいと
 思っていました。その機会を与えてくださったのが奥さん(先代)です。
 ですから、私は一生懸命、全身全霊を込めてこの仕事をしたのです。
 この庭と建築が人々に感動を与え、人々に癒しの空間を提供することが
 できれば本望です」

つづく


 

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